PCATでの活動について(気仙沼での活動)


 GW前に、日本プライマリ・ケア連合学会 東日本大震災支援プロジェクト(PCAT)の担当者より、「PCAT/日本プライマリ・ケア連合学会東日本大震災支援プロジェクト(RHITEプロジェクト)」 へのGW期間中の鍼灸マッサージ師の参加の打診をいただきました。

直前の依頼だったこともあり、ご希望の人数にはお応えできませんでしたが、災害鍼灸マッサージプロジェクトに申し込んでいただいた方の中から、2011年5月1日から8日まで、11名を派遣いたしました。

 

5/28に、『災害鍼灸マッサージプロジェクト』では南三陸町での活動を開始致しましたが、PCATでの活動へのご紹介は継続させていただいております。PCATの活動に参加の場合は、交通費・宿泊費が免除されます。また、事前に東京で行われる派遣前研修に参加していただく必要があります。

 

こちらのページでは、現在PCATの活動している気仙沼の現地状況、および5/1からのツイッターによる活動報告をご紹介いたします。御参照下さい。

 

 気仙沼におけるPCATでの活動は6月末で終了致しました。たくさんのご応募、本当にありがとうございました。


現地の状況(気仙沼)


   

【現地情報】

●気仙沼の活動場所は基本的にライフラインは確保されている。

●宿舎となる岩手県藤沢町のライフラインも同様。

●宿舎から活動地までは車で移動。道路状況は問題なく、だいたい50分位。

●電車で現地入りするなら、宿舎と活動地の往復は、医師団の車に同乗をお願いする。

●気仙沼と一ノ関を結ぶ大船渡線の時刻表はJRのHPで入手でき、ほぼ定刻で運転されている。

●帰任する日は宿舎へ戻らず、気仙沼駅から電車で一ノ関へ向かう方がお勧め。

●コンビニ等も営業しているので、過度の食糧の持ち込みは不要。

●津波被害を受けた地区は、漏れた重油に火が付き火災が発生したので、いまだに喉が痛んだり、目にしみたりする。マスクは必須。

 

【活動状況】

●避難所内で、鍼灸室での鍼灸治療と巡回治療が基本。

●『災害鍼灸マッサージプロジェクト』からの派遣ではない鍼灸師と同行する場面もあるので、連携をしっかりと。

●また、PCATの一員としての活動なので、医師団より特別なオーダーが出る可能性も有。

柔軟に対応し、医療チームの一員としての役割を果たして欲しい。

●一日に色々な会議、申し送りがあるが、特に重要なのが夕方の避難所での医療者会議。

気仙沼小学校、中学校、市民会館の医療職が集まり、情報の共有をする。

●医学的フォローの必要な患者を医師団へつなぎ、また、治療上得た避難所情報を発表する。

●その他、患者の症状や治療状況は、今までの当プロジェクトでの活動とほぼ同じ。依然としてニーズは高い。

 

 

【市全体の状況】

●気仙沼市は、避難所による格差が非常に大きい。全体として支援や物資が、ひどく不足しているわけではなさそうだが、上手く分配されていない。避難所が広い地域に点在し、数が多いからだろうか。

●野菜が腐り始めているところもあれば、私がいた気仙沼中学校は、一日二食、おにぎり、カップラーメンが主。

●一時は、地元避難民の炊き出しが上手くいっている『グルメ避難所』を転々とする人もいたらしい。

●DMAT医療者会議でも、対応に苦慮している。

●気仙沼中学校は避難所内の住民自治の意識も低かった。

 

 

鍼灸師も積極的に、調査等に参加、提案し、良いシステム作りの一助となって欲しい。

 

 

*PCATでの活動に参加されたM氏より、報告を頂きました。ありがとうございました。

 


現地からの報告


【6月30日】 報告者MAE

<14:14> 小学校、中学校、市民会館の行政の方、保健師さんに撤収のご挨拶と在宅マッサージについて簡単に説明してくる。これにて気仙沼での活動終了。最後のご挨拶は馴染みとなったラーメン屋さんへ。

<15:01>  気仙沼離脱。物資を届けに南三陸へ。見ておかなくてはいけない思いと見たくないという複雑な気持ちの海岸ドライブへ。天気は最高の真夏日。

<17:38>  南三陸で荷物をおろし、自宅へ向かいます。地元の先生とご連絡をとれたが、町外へおられるということで残念ながらお会いできず。気仙沼の先生がすでにお話をしてくださっていた。縁ですね。

<7/1 1:52> 仮眠を数回とり、無事自宅へ到着。暑くて眠れそうにない・・・

<7/1 6:59> 6/30:治療家1名。患者数3名。介護士さん、保健師さん等へ今後もフォローをお願いする方のみ治療する。

 

 

【6月29日】 報告者MAE

<6/30 0:33> 6/29:治療家2名(うち1名は2時に離脱)。中学校鍼灸室3名。巡回2名。気小巡回7名。市民会館巡回1名。私は、ほぼ撤収作業と他職種との引き継ぎ。今後もフォローが必要な方のみ治療。あと1日。できるだけ状態上げて地域や継続派遣される他職種にお渡ししたい。

<6/30 0:42> 昨日に引き続き、お二人の地元鍼灸師の先生とお会いする。その時の課題を宿舎に持ち帰り、医師を始め、多職種の先生方にご助言いただく。撤収後も我々が行政との窓口になり、コーディネートしつつ地元へ引き継がねば、未来は変わらない。どの職種も同じだと。日本は変わらなくては。

<6/30 0:50> 例えば避難所でのマッサージ治療。無料ならボランティア。有料なら営業行為で禁止。医療保険利用なら在宅マッサージで医療。何故?システムを作り変えなくては、単なる復旧で元に落ち着いてしまう。復興させるためにはどうしたらよいのか。私の前にもPCに向かう先生方がいる。

 

 

【6月28日】 報告者MAE

<22:46> 6/28:治療家2名。気仙沼中学校、鍼灸室3名。巡回15名。市民会館巡回6名(マッサージ1名。鍼5名)。

<22:48> 中学校の派遣保健師さんが急性腰痛になり、治療する。原因は避難者の布団にのることが申し訳なく、無理な体勢で血圧測定を続けたため。その気持ちは見習わねばと、初心を思い出す。

<23:24> 我々が治療してきた患者様を、地元へ落とし込むためお手紙をお出しした市内の先生のうち、お二人の先生が中学校へお越し下さいました。お一人は、すべて流された被災者。実際お話を伺うと、再建への障害は我々が思う以上に、細かく、多い。

<23:30> 本日、気仙沼港に震災以来初めてのカツオの水揚げ。労働者の七割が漁業関係の町にとっては復興の象徴。岩手県藤沢町の宿舎近くのお店でそのうちの一匹を、同行医師団みんなでおいしく頂きました。 一匹じゃないかも・・・

 

 

【6月27日】 報告者MAE

<7:57>  気仙沼到着。予報と違い冷たい雨。

<9:39> 治療家二名で活動開始。午前中は広報を兼ねて、小学校、中学校、市民会館を巡回。

<22:04> 6/27:治療家2名。気仙沼中学校。鍼灸室3名。巡回16名。気仙沼小学校8名(鍼灸6名。マッサージ2名)。市民会館には、本日整体学校のボラが多人数で入っていたため、活動なし。行政職員さん、保健師さんには我々の活動との違いを説明。

<22:47> 6/27:気仙沼6月でDMAT撤退正式決定らしい。その他も各地方自治体の各医療種支援も縮小傾向。どの職種も地元への引き継ぎ先がなく困っている。地元あはき師の情報を提供することで、災プロ撤退後も地元支援につながればと思う。

<6/28 7:11>  小学校の治療スペースは、体育館避難所内。避難者の空き居住スペースの一角。低い衝立のみで周囲からは丸見え。活動開始前の放送で「洋服を着たまま施術できます。」とアナウンスしてもらうと、利用の少なかった女性の来院が増加。

 

 

【6月25・26日】 報告なし

 

【6月24日】 報告者MAE

<6/25 6:50> 6/24(代理):治療家1名。気仙沼中学校鍼灸室8名。市民会館7名。小学校6名。災対本部やボラセンを通さず巡回マッサージをしている方がいるらしく、揉み返しの苦情も数件受ける。行政や保健師さんに我々以外の施術者を見かけたら確認して頂きたいと報告。

 

【6月23日】 報告者MAE

<6/24 7:08> 6/23(代理):気仙沼中学校鍼灸室6名。市民会館9名。気仙沼小学校7名。夕方の医療職合同会議が18時から16時に変更。

 

【6月22日】 報告者MAE

<6/23 7:13>  6/22(代理):治療家1名。気仙沼中学校鍼灸室7名、巡回0名。市民会館7名。気仙沼小学校4名。

 

 【6月21日】 報告者MAE

<19:21> 6/21(代理):治療家1名。中学校鍼灸室7名、巡回1名。市民会館8名。小学校

11名。朝、夕を使い、今まであまり行けなかった小学校を巡回。

 

【6月20日】 報告者MAE

<6/21 6:53>   6/20報告(代理):本日治療家1名着任し、活動再開。気仙沼中学校鍼灸室、5名、巡回2名。市民会館4名。気仙沼中学校には、他のマッサージボランティアも入っている。

 

【6月17~19日】 報告なし

 

【6月16日】 報告者MAE

<6/17 0:29> 6/16(代理):治療家1名。気仙沼中学校鍼灸室5名、巡回9名。気仙沼における災プロの活動は17~19日の間、一時閉鎖。

 

【6月15日】 報告者MAE

<6/16 7:40> 6/15(代理):気仙沼中学校12名。16日の活動で一旦閉鎖。20日より再開。

 

【6月14日】報告なし

 

【6月13日】 報告者MAE

<6/14 0:38>  6/13報告:気仙沼中学校鍼灸室二名、巡回十一名。治療家一名。

  

【6月12日】 報告者MIS

<17:47>  6/12報告。午前、治療室で1人、中学校巡回で2人。午後から治療室で1人、市民会館巡回で4人、小学校巡回で3人。計11名施術しました。

<18:01>  5時まで巡回して治療PCAT 6.12 午前 ...室に帰り、カルテ記入。あわただしく帰りの準備をしてタクシーで気仙沼駅に。18時発の電車に間に合わないと東京に帰れなくなるので焦りました。あっと言うの二日間でした。市民会館のKさん(掲載了承済)

<20:13>  19時55分一ノ関発やまびこ268号に乗り東京まで。夕食は「あぶり焼き 牛肉弁当」 http://t.co/0VYSTUW

<23:16>   東京着。 http://t.co/XAGGc5N

<6/13 0:37>   地元駅に到着。日常生活へのリハビリを兼ねて1人お疲れ様会@にこたまパンチ  http://t.co/VI6Mia7

<6/13 1:19>   今回も後方支援して頂いたPCAT、災害鍼灸プロジェクトの皆さん、ありがとうございました。そして、現地のKドクター、栄養士会、避難所の保健師、介護士の皆さん、御世話になりました。自分の活動が少しでも被災者のお役に立てた事を願っています。

 

 

 

【6月11日】 報告者MIS

<6:32>  やまびこ251号。今日画像貼り忘れ。は凄く混んでます。自由席は既に大勢立っています。朝ごはんは「深川めし」

<8:49>  やはり今日から東日本復興が目的の「JR東日本パス」適応だから混みますね。新幹線、特急など全線一日乗り放題で1万円。青森まで行っても日帰りなら1万円。明日の帰りは座れないかも。 http://t.co/qDAHTRO

<9:37>  大船渡線「特急スーパードラゴン」気仙沼行き。2両編成のワンマン。何故、このネーミング? http://t.co/RI1j9GK

<11:13> 気仙沼駅に到着。 http://t.co/2Ao0OFb

<12:47>  気仙沼中学校で前任のU先生と引継ぎ。市民会館の保険師さんに挨拶してから、各教室を回り予約開始の挨拶。午後の活動前に腹ごしらえ。一ノ関駅で買った「三陸海の子弁当」 http://t.co/5Zf4zfO

<14:29>  施術ベッドがあるのでマッサージも楽です。 http://t.co/PE8nBn3

<17:32>  本日の活動報告。 午後から中学校の治療室で3名施術。その後、暫く待っていたが、時間がもったいないので市民会館を巡回し5名を施術。5時半で本日の活動終了。 http://t.co/onnPnBo

<17:37>  福岡からの自衛隊による仮設風呂。「玄海の湯」 http://t.co/at60oNN

<19:11>  異業種テント会議に出席。富山県の保健師さんが中心に食事やトイレの衛生管理に関してミーティング。 http://t.co/io6gJB3

<20:18>  訪問診療で回られているKドクターにクルマで迎えにきてもらい、藤沢の宿泊先まで。これから栄養士さんが作ってくれる夕食です。 http://t.co/5jF2jIl

 

【6月10日】 報告者DEL&MIS&MAE

 

<7:32 DEL>   PCAT@気仙沼の方へ。仮設住宅横の移動コンビニ、あそこは気仙沼一、宮城県一?全国一?の売り上げを誇っていたお店だそうです。サービス満点です。

<9:39 MIS>   明日から二日間ですが気仙沼中学校の避難所に行きます。3回目の活動です。状況が好転している事を期待。

<6/11 00:58 MAE> 6/10(代理報告):気仙沼中学校、鍼灸室六名、巡回七名。市民会館三名。治療家一名。現在参加している会議は、9時からの避難所班長会議と18時からの気仙沼小学校、中学校、市民会館の三避難所の医療従事者合同会議。

 

【6月9日】 報告者DEL

<20:02>   PCAT@気仙沼で活動される方へ-気仙沼地区は糖尿病に関する啓蒙が低い地区だと以前の活動中の情報です。また、ペットボトルのジュースやゼリー型エネルギー食(これ、中学校では大人気でした)の摂取過多もこれらの問題の引き金になる可能性が。医療者向け情報誌でも取り上げられていました。

 

 

【6月8日】 報告者MAE

<6/9 7:17> 6/8の報告(代理):気仙沼中学校、鍼灸室4名、巡回5名。隣の市民会館3名。治療家1名。各避難所の保健師さんからの要請により、中学校以外での活動も始まる。

 

 

【6月7日】 報告者MAE

<11:25>  地元鍼灸師の先生方の活動は、在宅支援が大切になってくるだろうとのこと。そこで問題となってくるのが医師からの同意書。震災前は元気で主治医のない方がたくさんおられる。その三者のパイプ役になれるのも、利害の一切絡まない、我々よそ者だからこそなのかもしれない。

<6/8 0:12> 気仙沼中学校にて施術者1名で12名を治療。そのうち1名は隣の小学校に避難中の方。小学校や市民会館などにも巡回したいが、手が足りない。

 

 

【6月6日】 報告者MAE

<19:32> 本日19:30気仙沼着。地元の鍼灸師の先生の治療院を訪問。災プロ及びPCATとの関係について最初から説明させていただき、ご理解を得る。我々の地元に残してきたいものに「心から感謝します」との勿体無いお言葉。そして地元ならではの、ご助言をいただく。

<19:42> ご自分はご無事だったが、治療院が被災された先生。治療院へ行きたいが、車や交通機関や送ってくれる家族を失った患者さん。あっという間に介護度はどんどん上がり、介護保険料を負担する若者はどんどんいなくなる。一日も早く、両者をつなげる仕組みを作らねば、と先生談。

 <01:13>  地元には地元ならではの要望、問題、ニーズなど、我々にはわからないことも多い。そしてご自分で解決したくてもできない理由も様々。それを聞き出せるかは、信頼を得ること、そしてこちらの覚悟。より細かい配慮と調査が必要とされている。地元の先生とじっくりお話できて、本当に良かった。

<11:55> 6/6の活動報告(代理)。午前中に気仙沼中学校体育館の用具室に、鍼灸室を再開させ、各関係者に着任の挨拶。治療再開を待ち望んでいた患者さんが多数おられると、保健師さんより嬉しい報告。午後から治療開始し、施術者1名で5名を治療。

 

【6月5日】 報告者MAE

<15:05>   これから宇都宮を出て新幹線で気仙沼へ行ってきます。今回は一泊のみ。事務仕事がメインです。

 

【5月30日~6月4日】 報告なし

 

【5月29日】 報告者MUN 

<5/30 7:56> 29日10名施術。29日をもって私の活動は終了となりました。医療チームの一員として被災者さんから体や心の相談を30分出来る環境があるだけでも鍼灸師がここにいる意味がある。非常に勉強になりました。ありがとうございました。

 

 

【5月28日】 報告者MUN 

<22:24> 本日鍼灸師2人で14人施術。TSP(トイレスリッパプロジェクト)と銘うって仮設トイレ使用時のスリッパの衛生環境を整えた。全体会議で気仙沼中学以外でも鍼灸を提供したい状況発見!派遣鍼灸師の確保が課題!

 

 

【5月27日】 報告者 MUN

<23:11> 本日13人の施術。施設としての衛生管理で梅雨に向けてカビ対策や残飯の問題が…。カップラーメンの残り汁は流せないため、飲み干すのが暗黙のルールで、高血圧の方が増える要因でもある。               

 

 【5月26日】 報告者 DEL&MUN

<22:52 MUN> 今月末をもって、医師はじめ医療ボランティアが気仙沼中・小・市民会館から撤退予定。被災者からは仮設住宅に移っていく被災者に加え医療からも取り残され感があり、不安を訴える方が多い。

<23:01 MUN> 現場医療チームと巡回の心のケアチームとの噛み合わなさも問題の一つ。急性ストレス反応に対しての対応が統一できていない。

<23:09 DEL>  私がいるまでの間、鍼灸師が、医療チームの一員としてどこまで浸透できるかが課題。PTと医師は共通の価値観で話ができているが、鍼灸師と医師はなかなか共通認識が見えない感も確かに存在する。

<23:12 MUN> 本日一日限りの4人体制にて35人施術。本日をもってKさん、Mさんが離任。明日からは中学を軸に対応していきます。

<5/27 2:06 DEL> 最終日。終了最終日に、再就職の話(元の会社(水産)からのオファー)があったと、ある患者さんから嬉しそうに連絡があった。何よりの手土産です。これからの復興を心よりお祈り申し上げます。最後の旅立ちは、沢山の方にお見送りをしていただきました。感謝感謝。

 <5/27 2:09 DEL>  本日、同意書を取得し、地元の治療院へ2件の申し送りができた。来年2月の末までは、被災者さんの負担なし。もっと多くの方を申し送りたかったが、あとは後任の方へバトンタッチ。 

<5/27 2:14 DEL>  支援者側の活動後のこころのケアはとても大切だと思う。事前研修も同様に、こころの風邪予防としての機能を十分に果たしていたと実感している。しかし、何よりはチーム力。支援者同士のサポートが最重要と感じている。

 

【5月25日】 報告者 DEL&MUN

 

<6:45 DEL> 朝からまた2人離任・・・寂しい・・・この2週間ずっと家族みたいに動いてきた。同じ釜のめし喰ったなんとか・・・という感じです。さて、今から移動!実働あと2日、思いっきりラストスパート。

<5/26 0:44 MUN> 本日21人施術。個人的には首背中のこり・張りを訴える方が多かった。明日よりA鍼灸師が活動開始。明日のみ、鍼灸師4人体制にて3箇所の避難所を回ることが出来る!今後の継続性を持たせる課題はあるが、お疲れだけど、M先生のラストスパートに期待!

 

 

【5月24日】 報告者 DEL&MUN

<9:55 MUN> 今日24日から29日まで気仙沼にて鍼灸マッサージ活動をさせていただきます。思ったこと見つけられた課題など気ままに書けたらなと思います。よろしくお願いします。

<22:05 MUN> 本日鍼灸治療17名。食中毒への懸念される状況。配られた食料品を各自で保管してしまう。明日、M鍼灸師と地元の鍼灸師との継続治療についての話し合いが、セッティングされる予定。

<5/25 0:59 DEL> 気仙沼、31日救護所撤退決定。そして被災者の方々に通告終了。皆さん困惑気味でストレス大となっている。やさしい施術を心がけよう。

<5/25 1:01 DEL> 新しく鍼灸師兼看護士のKさんが来所。またしても実働力がアップした。明日はさらに多くの人を施術できそう。

<5/25 1:06 DEL> 鍼灸マッサージ部隊がチーム医療の中に入り、他職種の方と活動を共にするだけではなく、情報を共有し、一人の患者に対し多方面からのアプローチを行っている。理想とする医療のあり方をここにみている気がする・・・チームワークは最高です。

<5/25 1:13 DEL> さて、救護所(医療班)は撤退になるけど、6月以降の鍼灸マッサージチームの活動はどうなるのでしょう。避難所に残る事になったら、保険師さんや巡回医師、ケアマネさんなどなどとチームワークを築き上げ、患者のための良い環境を築き上げて行ってほしい。もし救護班とともに撤退となっても(ならなくても)、今から、地元の先生に患者を「繋ぐ」作業がとても大切だと思う。それも復興のための一つの支援の形。明日も6時50分出発。今日は、そろそろ寝ます・・・積極的休養も長期戦ではとても大切。

 

 

【5月23日】 報告者 MAS&GRK

<5/23 11:07 MAS> 昨日、日本プライマリケア連合学会の派遣前研修に鍼灸マッサージ師9名で出席。医師、看護師、助産師らと同席。他の医療業種を理解すること、私たちを理解していただくこと、そこからきちんとした連携をとること、これらにより被災地の方々への支援が一層効果的になっていくこと、大切にしていきたい。

<5/24 0:28 DEL> 気仙沼色々な人を支えながら、(周りや患者に)支えられている自分に気付く。ここに来てよかった。今日の患者数9名。あと実働日数3日。

<5/24 1:29 GRK> さすがに眠いな。寝ます。気仙沼に入る方は、下記のページを参考にして下さい。 

※気仙沼の報告 

http://www.geocities.jp/gurakuan_acupuncture/index85_110524.html

  

 

【5月22日】 報告なし

 

【5月21日】 報告者 GRK&INO

<8:18 INO>  GRK先生、DMAT会議で撤収のあいさつ。「…個室での治療のため、治療だけでなく普段被災者の言えないことなども聞くことができた。…」 http://t.co/GwD54Oo

<9:30 GRK> 本日朝、MOさん離脱。私・Iさんも午前中治療し、帰ります。長かったようで短かった気仙沼。さぁ! ラストスパート!

<9:55 GRK> せんねん灸スモークレス、ベッド、タオル、マスク、綿花有ります。自分の使う鍼灸道具だけでOKです。欲を言えば、マクラが無い。

<13:00 GRK> 私・Iさん、チームリーダーの医師との挨拶をすませ気仙沼を離れます。ツイートされていた皆様、報告を終わります。

<18:25 GRK> 今回我々災害鍼灸マッサージプロジェクトはPCATへの派遣という形をとり、気仙沼中学校・小学校・市民会館に入りました。今回、周りの皆様の配慮を受け、気仙沼中学校では体育館の用具庫を、市民会館では談話室をお借りする事ができました。そのおかげで、全くプライバシーの無い被災者の方が、他人から隔離され、安心して治療を受ける事が出来ました。鍼灸マッサージは、20分30分と患者さんと接する時間も長く、また実際、患者さんの身体に触れ治療する事から、患者さんとの距離が近くなります。そのなかで、患者さんから、「悲しくも無いのに、涙が止まらない時が有る」といったココロの問題を話されたり、また震災前にもらった胃薬を今でも服用していた事が明らかになるなど、人に言いたくない、言いにくい話を拾いあげる事も多々有ります。これらを医療機関に紹介し、情報を共有し、チームとしてひとり一人の被災者を見守る活動に参加する事が出来ました。大変、貴重な経験をさせていただきました。このような活動に参加させていただけ、とても幸せです。今後も災害鍼灸マッサージプロジェクトのメンバーを派遣させて頂く予定です。よろしくお願いいたします。

<5/22 0:11 GRK>   災害鍼灸マッサージプロジェクトの代表・三輪さんと打ち合わせするため東京に。三輪さん宅にて仮眠。お休みなさい。

 

 

【5月20日】 報告者 GRK&INO

<15:53 GRK> 20日午前、私・市民会館、Iさん・中学校巡回、MOさん・小学校、MAさん・中学校鍼灸ルーム。

<15:56 GRK> 午後、私・市民会館談話室、Iさん・中学校鍼灸ルーム、MOさん・小学校、MAさん・中学校巡回。

<16:53 GRK> 20日活動報告。鍼15名、マッサージ13名、計28名。

<19:52 INO>  気仙沼の地酒ゲット~!地元の酒蔵があるらしいです。   http://t.co/lghQtQM

 

 

【5月19日】 報告者 GRK&INO

<6:11 GRK> おはようございます。6時10分起床のはずですが、6時前にほとんどの方が起きています。士気が高いです。

<6:19 GRK> 気仙沼PCATは、宿も食事も全く心配ありません。気仙沼市も津波に襲われた地域以外は、コンビニも営業し、ほぼ日常を取り戻しています。

<8:00 GRK> 8時・気仙沼地域の医療者の全体会議。9時気仙沼中学校、小学校、市民会館の被災者の班長さん会議。

<9:16 GRK>  気仙沼の一般ボランティアは車中泊やテント。コンビニは有るが、銭湯が少なく入浴は困難。条件が悪く、ボランティアが少ない。頭が下がります。

<9:22 GRK> 今日は気温が高くなる予想。医師・看護師・保険師さんなどは、食中毒や脱水症などを懸念。

<22:40 GRK> 午後は、私・中学校鍼灸ルーム、Iさん・市民会館談話室、MOさん・小学校、MAさん・中学校鍼灸ルームで活動。

<22:45 GRK> 活動終了後、地元で治療と個人的にボランティアに奔走されている鍼灸マッサージの先生と面会。具体的な話は進まなかったが、地元で患者さんのために活動されている姿に感動。すがすがしい先生で、お話できただけで感動。

<22:58 GRK>  MAEさんに教えてもらったラーメン屋の喜喰屋(きくや・南町4丁目1の25)さん。あっさり味で美味しかったです。気仙沼市民会館横のロータリーを下り、突き当たりを左へ。登って下りていく坂の途中の左側にあります。12時から営業。日曜日は休みです。

<23:15 INO>   気仙沼の市民会館したのラーメン屋さん「きくや」。ラーメン600円(お昼は100円引き)、ゆで玉子50円。おいしいです。 http://t.co/QFhpH9N http://t.co/NbbmzY8

<5/20 16:50 GRK> 19日活動報告。鍼17名、マッサージ13名、計30名。 

 

【5月18日】 報告者 GRK

<9:43 GRK> 本日も6時10分起床。7時出発。8時DMAT会議。9時気仙沼中学校の班長会議に出席。10時治療開始の予定。

<9:47 GRK> 本日午前中は、私は鍼灸ルーム、Iさん・気仙沼小学校、Mさん・巡回(可能なら仮設住宅へ)の予定です。

<17:50 GRK> 午後は私・気仙沼中学校巡回、Iさん・気仙沼小学校テント治療、Mさん・気仙沼中学校治療室で治療を行いました。

<17:55 GRK> 夕方、柔整師さん合流。明日は治療家4名で活動。

<18:06 GRK> PCATのリーダー医師、DMAT会議で「鍼灸マッサージ師が各部屋を巡回し、好評で、被災者がリラックスしてる」と発言

<21:58 GRK> 18時20分・気仙沼中学校、小学校、市民会館の医療者会議。

<22:03 GRK>  私感。昨日と今日で気仙沼中学校のすべての被災者の部屋を回った。昼間に片付けに行っている人が多いが、ただ、部屋にいたくないだけの人もいる。被災から2ヶ月以上。ストレスはピーク。昼間残っている人は、首こり・背部のこり・腰痛。椎間板ヘルニア由来の足のシビレ等が多い。鍼灸マッサージルームがシェルタのような働きをしていて、身体と心をいやしに来るのかもしれない。人に語れる悲しさと、人に語れない悲しさ。

そのような悲しさに我々鍼灸マッサージ師に何が出来るのであろうか……。それは、説得やはげましではなく、ただ、その悲しみに寄り添うだけ。その悲しみに寄り添うだけなのかもしれない。

<5/19 9:08 GRK> 昨日(18日)報告。治療家3名で治療。鍼9名、マッサージ16名、計25名。その他仮設住宅訪問、4件(治療は無し。心のケアで話を聞く)。

 

 

【5月17日】 報告者 GRK&INO

<7:11 GRK> 6時10分起床・朝食。7時気仙沼方面に移動。途中、コンビニに寄り、昼食を買う。

<8:19 GRK> 8時・気仙沼に入っている医療関係者会議に出席(気仙沼市保険管理センターすこやか。

<9:09 GRK> 9時・気仙沼中学校の被災者の班長会議に参加。ここで鍼灸マッサージ師が集めた被災者の情報が反映され、被災者の生活が改善される。

<9:20 GRK> 介護班から「チャレンジ体操」の案内有り。なかなか身体を動かせていない被災者が多いとの事。

<9:36 GRK>  食事が3食きっちり出せるわけでないので、食事を残して翌日食べるかたあり。医師、食中毒を心配。注意を促す。

<9:45 GRK>  Iさん、終日市民会館で巡回。私は、終日気仙沼中学校で巡回。M先生、終日鍼灸マッサージ室で治療。

<11:57 INO>  気仙沼中学校の器具庫に鍼灸マッサージ室があります。名取市から運んだ簡易ベッドが喜ばれました。 http://t.co/NnP9MFA

<12:18 GRK> 12時・昼食休憩。コンビニで買ってきたおにぎりを食べる。休憩は2時間と意外に長い。支援者が疲れないように配慮している。

<12:42 GRK> 支援者は体力的な疲れと精神的な疲れのダブルで疲れる。百戦練磨のさすがの私も(笑)、避難所の独特な雰囲気にのまれる。11時ごろ5分ほど戦線を離脱し、ほうじ茶で持ち直す。ガラスのような繊細な私(笑)には、ボランティアはムリ。心臓に毛をはやそう。

<17:54 GRK> 2時・治療開始。4時・カルテ整理。5時・気仙沼に入っている医療関係者の全体会議。6時・鍼灸マッサージ師の会議。

<18:21 GRK> 6時20分・気仙沼中学校、小学校、市民会館の医療関係者の会議。

<18:58 GRK>   とりあえず、本日の活動終了しました。いまから宿にかえって保健師さんのご好意に甘えます。 

<20:03 GRK> 疲れていたのか、Iさんとコンビニでエクレアを買って食べる。ギブミー糖分!

<20:10 GRK>   気仙沼市も他地域と同様、緊急災害医療体制から中・長期的な保健医療体制へ。在宅患者への介護マッサージのノウハウがいかされる好機が到来か。M先生、在宅の被災者を巡回する医師と連絡。一緒に巡回出来ないかを模索。行動に期待。

<20:19 GRK> 仮設住宅に移った被災者に、心の問題が発生したという報告が多数。ここにも、鍼灸マッサージ師の活躍の場が!

<5/18 9:39 GRK> 昨日(5/17)の報告。鍼灸マッサージ師3名で治療。鍼14名、マッサージ15名、計29名を治療しました。

   

【5月16日】 報告者 GRK&INO

<5:22 GRK> 超順調。国見サービスエリアで給油。高速道路は大型トラックやトレーラーが目立つ。軽自動車で爆走してるのは我々くらいか。

<6:52 GRK> 仙台に到着。市内のサウナ&スパで仮眠の後、岩沼市・名取市で物品を積んだ後、藤沢の集合場所に。岩沼・名取市は3~5時ごろに行きます。

<15:52 GRK> 岩沼市民会館なう。

<16:30 INO> 岩沼市民会館より撤退完了。 http://t.co/yKWtdTI

<17:23 GRK> 名取市消防本部にて簡易ベッドを積み込む。荷台満杯。重い。

<5/17 0:10 GRK>  岩手県藤沢町のPCATの活動拠点に到着。田舎だがPC環境はととのっている。ノートPC持って来れば良かった。布団で寝られるのでご安心を。食事は余力が有れば、提供してくれますが、「必ず出る」というわけではない。しかし、スーパーマーケットが近くにあり、キッチンも有るので自炊は可能。風呂も小さいが有り、洗濯・乾燥も出来る。

<5/17 0:17 GRK> 先に入っておられたM先生(鍼灸マッサージ師)と打ち合わせ。明日の行動を確認。私は気仙沼市民会館にて被災者を巡回しマッサージする予定。Iさんは気仙沼中学校にて被災者を巡回しマッサージする予定。M先生は気仙沼中学校の鍼灸マッサージ室にて終日治療の予定。

<5/17 0:41 GRK> PCの件、訂正。つながってはいますが、多人数で使うとつながらなくなります。ネットも譲り合いを。

 

 

【5月15日】 報告者MIS

<7:53 MIS> 8時 健康管理センターすこやかで医療者全体会議に出席。

<9:05 MIS>  9時 気仙沼中学校の班長会議に出席。

<9:50 MIS> 10時より気仙沼中学校で鍼灸師2名、市民会館で鍼灸師1名で治療を開始します。

<12:36 MIS> 午前の施術終了。全て予約されてた方で2人で10人を治療しました。ほぼ全員鍼とマッサージ。

<14:07 MIS> 13時30分 午後の施術開始。2時からは体育館で介護士の提案で体操教室開催。皆さん避難所に来てから運動不足になってますね。

 <17:37  MIS> 16時30分 施術終了。気仙沼中学校は午後9人、市民会館は午前と午後で6名を治療しました。

<17:49  MIS> 気仙沼駅から大船渡線18時発で一ノ関駅、そこから東北新幹線に乗り換えて東京まで帰ります。

<5/16 0:20 MIS> 自宅の駅に到着。やはり6時間かかりますね。往復で東野圭吾の単行本を1冊読めます。

<5/16 0:29 MIS> 避難所と東京では全く世界が違うのでやはり違和感はあります。どちらも現実。こっちではしっかり消費活動していく事が被災地支援に繋がると信じていつもの生活に戻ります。

<5/16 0:59 MIS> 避難所から仮設住宅に移れる事は凄く良い事だと思っていたけど、そうでも無いと聞きました。抽選で当たっても仮設住宅の場所によっては辞退する人もいるらしい。子供の通学などを考えると何処でも良い訳じゃないらしいです。

 

【5月14日】 報告者MIS

<11:30> 気仙沼中学校に到着。S医師とM先生と合流。体育館奥の治療スペースで活動を始めます。

<13:13>  気仙沼中学校の避難所の治療室は剣道部の部室から用具室に変わっていました。30畳位の広い部屋でベッド2台で治療してます。既に予約で一杯になっていました。

<16:37>  気仙沼中学校での本日の活動は終了。

<17:28>  5時から医療者全体会議に出席。

<19:22>  6時から中学校、小学校、市民会館の医療関係者のミーティングに参加。

<23:46>  着いてから予約されていた7名を施術しました。マッサージのみ希望の方や鍼治療を希望される方など様々です。

 

【5月10日~13日】 報告ツイートなし

 

【5月9日】 報告者MAE

<17:51>8時~市医療者会議。9時~避難所班長会議に出席。医療者会議へ出席するチーム数は減っていないが、ニーズの減少、GW明けということで人数が一気に減る。

<18:00> 本日、鍼灸師1名。午前中のみ気仙沼中学で活動。患者数、鍼灸8名。その後鍼灸室を撤収し、関係各所へご挨拶。行政、保健師さんからも撤退を惜しむ声。できる限りの治療結果は出してきたつもり。

<18:11>  同行医師が、鍼灸師の医療支援活動参加を後押しする内容を、PCATのMLに投稿してくださった。大きな成果の一つ。PCAT様を始め、同行機会を与えていただいた全ての方に感謝。

<18:18> 現在新幹線で帰京中。医療班の中での鍼灸師の果たせる役割を再考し、また報告します。多くの経験豊富な医師、看護師、PT、栄養士の先生方と行動を共にし、多くのことを学ばせて頂きました。しっかりとフィードバックできればと思います。

 

 

【5月8日】 報告者MAE&MIS

<11:59 MAE> おにぎり、カップラーメン、たまにパン。しかも二食の配給。今日は炊き出しで温かいうどん。うどんを待つ列に無情の雨。止め、止め、雨。

<12:13 MAE> 8時医療者会議、9時避難所会議に出席。医療者会議は、全国から20以上の医師団。多種の医療資格者。その大きさ故、鍼灸師が会議に出席してもかえって違和感がない。

<12:15 MAE> 雨止みました。念ずれば…

<23:28 MAE> 午前中にて、3名の鍼灸師が離任。市役所2名で8名。1名は各方面へ挨拶回り。気仙沼中は、1日1名で12名の治療。17時より市全体の医療者会議。その後中学へ戻り、18時20分より避難所の医療者会議。

<23:35 MAE> 一日4回の会議、医師団との同宿舎ということで鍼灸マッサージのフォローできる分野がまだまだあることを実感。特にリハ、介護の分野でのニーズの抽出作業には大いに貢献できるはず。

<23:40 MAE> 宿舎にて、時間のできたPT、看護師の方を軽く局所治療。自分たちを知って頂くことも今回の目的。

<23:43 MAE> 明日の午前中をめどに離任。

<5/7 23:04 MIS> 5月4日活動後述。「この避難所から出て仮設住宅に一日でも早く移る事が今持てる希望。でもそこまで。移動後は自分達で何とかしなくちゃなんねから、希望は持てねーな。家も車も仕事場も流されてっから何をしたら良いかわかんね」これを聞いて返す言葉が見つからなかった。

<13:32 MIS> 5月4日活動後述。治療させてもらった御夫婦のお子さんは3人。小学生3年、1年、そして2ヶ月の赤ちゃん。震災直前に生まれ、抱いて避難したそうです。優先的に仮設住宅に移れるそうですが、まだ避難所を出れていない。あの環境に2ヶ月の赤ちゃんがいるのが信じられない。

<13:40 MIS> 5月4日活動後述。今回の事を小学2年の息子に伝え、オモチャを送ってあげようと話し合いました。

 

 

【5月7日】 報告者MAE

 

<11:53> 気仙沼中の鍼灸室にて治療。数日間の活動にて鍼灸常連が出来ている。前任先生方の技術の賜物。ただし、派遣元PCATや行政とは個々の連携作っていただいたが、組織としての鍼灸室の立ち位置が微妙。後続未確定の上、短期。今回は連携確立でなく素地作りに徹します。

<23:09> 気仙沼中、市民会館にて、鍼灸26名の治療。鍼灸師5名。うち1名は地元、気仙沼の先生が応援。私は引き継ぎ業務がメインの実質3名の治療家で対応。潜在的ニーズ含め、ニーズはまだまだ高い。後続未定は残念。

<23:13> 気仙沼の避難所へ入る際は、室内履き必要。PCATとして医師団と共に入っているからか、鍼灸スペースの環境が過去の避難所に比べ、抜群に良い。

<23:19> 気仙沼中の避難所は避難した順に部屋割り。まだ居住地ごとに組み直す時期が来ないのか、しないのかは不明。当然、鍼灸の口コミも弱いと思われる。

<23:25> メニエール氏病、顔面神経麻痺、など短期間での治療では難しい患者さんも来院。心苦しい。残り2日、できる限りを尽くす!!

 

 

【5月6日  報告者MAE&WAK&MIS

<19:38 MAE>  これから東北新幹線で上野から一ノ関まで移動。PCAT拠点地藤沢町まで行き、明日気仙沼入りします。

<5/7 0:39  WAK>  PTSDは、医療機関のスタッフです。1分起きに言う事が変わるそうです。今後、欝症状が心配されるのは、予想されるのではないでしょうか?その意味での心のケアでは??

今年、日本の自殺者は減少傾向にあったそうです。しかし地震で…不安視されます。私は被災地の心の部分のアンケート調査にも参加しましたが、アンケートのように正面切ると言ってくれないことも多いかと…。

そこで、鍼灸のように、寄り添いながら少しずつ話を聞き、患者さんのHELPを感じとれる、全人的医療が必要な時期になるのではないかと思います。

でも、短期間のボランティア鍼灸で、人一人に寄り添うのは、不可能と思いました。今度、いつ来るの?って言ってた避難者の言葉は真実ですよね。その言葉を裏切らない自分でいたいと思いました。

<5/7 0:25 MIS> 5月4日気仙沼中学での活動後述。 初めての居住スペースに入って施術する時は色々考えました。決して押し売りになってはいけない、身分をしっかり相手に分かるように伝えなくてはならない、食事時間は避けるなど、日常の治療院での形態と違うので。

<5/7 0:39 MIS> 5月4日活動後述。居住スペースではまず初めの一人目がとても重要。その一人目の方が施術が終わった瞬間に「気持ち良かったー」とか「効いたー」とか感想を言ってくれると周囲から次々とお呼びがかかります。突然来たよそ者にカラダを触らせるのは抵抗ありますからね。

 

 

  

【5月5日】 報告者MIS&MAS(Fさんの代理投稿)

<7:27 MIS> 今日がボランティア終日。限られた時間しかないけど精一杯活動しようと思います。

<9:59 MIS> 気仙沼小学校、気仙沼中学校での鍼灸マッサージボランティアを7名で始めました。

<12:36 MIS> 気仙沼中学校では体育館の横にある剣道部の部室を鍼灸マッサージの治療室として使わせてもらっています。ただ布団を一枚ひける程度の広さなので、そこの担当を荒井先生にお願いして他の2名は各教室の居住スペースを手分けして回りました

<13:01 MIS> 気仙沼中学校ではまだ食事の状況は良くないようです。朝食の配給は無し、昼と夜はそれぞれ1人1コの塩オニギリとバナナかオレンジ、それにカップ麺とか缶詰め。温かい炊き出しのような料理は特別なイベントの時だけ。野菜類が食べたいと、皆さん言っていました。もう2ヶ月になるのに。 

<13:35 MIS> 気仙沼中学校の担当だった私とC先生は午前中で活動終了しました。これから東京に帰ります。

<5/6 0:32 MAS> 代理ツイート5月5日17:48@気仙沼:今日は大阪メンバー4人で治療にあたり、例によって1人は中学校へ応援に。小学校は3人で行いました。午後からは2人抜けて、S先生と私の2人で治療にあたりました。今日の施術者は5名で、患者数は合計24人(男15女9)です。これまでのよそよそしさが取れて口コミも広がり、今日は愉しく治療ができたように思います。今日で小学校の担当は終わり、明日から市民会館での活動になります。

<17:42 MIS> 昨日のツィートで「天気が良いから外出されているようだ」と書きましたが訂正します。長期間の共同生活で息を潜め小声で会話するストレスで少しでも部屋から出ていたいからだったに気づきました。部屋に戻ると肩が凝ると言っていました。皆さん限界をこえているのかも。

<18:47 MIS>  昨日のツィートで「天気が良いから外出されているようだ」と書きましたが訂正します。長期間の共同生活で息を潜め小声で会話するストレスで少しでも部屋から出ていたいからだったに気づきました。部屋に戻ると肩が凝ると言っていました。皆さん限界をこえているのかも。

<23:00 MIS>  「気仙沼中学校ボランティア」480人位の被災者がいて、テレビは体育館に1台のみ。携帯のワンセグも部屋によっては受信しにくいらしい。どこの部屋を回っても小さくラジオが流れていました。PCも見かけなかったし主な情報は新聞のみか。

<5/6 1:32 MIS> 「気仙沼中学校ボランンティア」部屋での飲酒禁止。喫煙も外の2ヶ所のみ。自販機はもちろん冷蔵庫も見かけなかったけど一日の終わりに風呂上りの冷たいビールの一杯も許されていないのかな。中学校だから?

<5/6 0:48 MAS>  PTSDはいないとの報告を参加者から受けた。自分の実感としても、診断基準を満たすような例には出会わず、知り合いの臨床心理士からも「意外といない」と報告を受けていたが、つまり皆が同様の感触。コミュニティの強さ故か。一方で、ここ2~3日は、各チームからこころの問題を重視する報告が多い。

<5/6 1:35 WAK>   私が活動した地域ではスタッフ側がPTSDになり指揮がとれない状態があったと聞きました。PTSDの症状はなくとも寂しいという気持ちは心配と思いました。田舎のおばあちゃんが夏休み、孫達が来て楽しかったけど帰った後寂しいって感じでしょうか?私は阪神の経験があり、避難所に最後まで残る人の表情は冴えなかったです。

<5/6 2:48 MIS> ボランティアから帰って気持ちに変化が。行く前は遠い存在だったのに今はとても近くに感じる。直接会話し治療した事で気持ちが繋がったのかな。今でも顔が浮かんでくる。心配してる自分がいる。なぜか落ち着かない不思議な感覚。親戚が出来たって感じかな。思ってたより充実感はない。

 

【5月4日】報告者WAK

<16:15>  本日の気仙沼中学校での治療は終了。各教室の部屋を回ったのですが、今日は天気も良かったので外出されている方が多かったようです。午前と午後で合計6名の方をマッサージさせていただきました。

  

【5月3日】報告者WAK&MAS(Fさんの代理投稿)

<13:59 WAK> 本日、気仙沼中学校、小学校、市民会館で合わせて12人の鍼灸師が活動中です。    

<5/5 22:56 MAS> Fさんの代理ツイート:「5月3日は、岩手県藤代の民宿に宿泊。桃の花が満開だったので、枝をたくさん頂いて、翌日、市民会館の方がたのお土産にしました。狭いスペースで、部屋に座ったきりの方々の、臨時お花見大会開催。活動を全て終え、松島泊。ごくわずかな日数だったので、いろいろな感情はあるものの、思い切って来て良かったと思います。是非、お時間の割ける方には、この活動を引き継いでいって頂きたい。多数の方が睡眠導入剤に頼っている現状なので、 まだまだ、我々の役割は、あると思います。」

<5/6 0:25 MAS> Fさんの代理ツイート5月3日分:「今回、小児はりとドライヤーが、大活躍でした。怖い経験で、過敏になっていたり、怖がりになっているので、導入に用いたり、それだけでOKの方もいました。又、狭い密室ゆえ、煙りが出せないので、ドライヤーを自分の手の甲に当て、お灸代わりに、 手当てしたり、貼るだけお手軽のせんねん灸太陽も喜ばれました。」

 

 

【5月2日】報告者WAK&MAS(F氏の代理投稿)

<23:38 WAK> 今日は気仙沼中学、小学で活動しました。AR先生、AM先生、F先生を中心に本格的な鍼灸治療をしました。

 <5/3 0:25 MAS> Fさんの代理ツイート。「PCATからの依頼で、3人でこぼこコンビ、1日早朝、東京出発。多少、一般道を使いつつ、松島までほぼ渋滞にはまらず、15時半着。石巻で活動の予定が急遽変更で2日朝7時に松島を発ち一路気仙沼へ。南三陸など被害のひどかった海沿いや、獣道のような林道を通ってお昼に気仙沼着。続きは明日」

 <5/3 11:26 MAS> Fさんの代理ツイート。5/1報告続き:気仙沼小学校でテントを二張り借りて、午後1時にスタート。二十数名施術して5時半終了。子どもたちが学校から戻ると、可愛い声が響いて、ほっとしました。彼らの作った、ファイト新聞を読むと心が和みます。子どもたちは、未来であり、希望です。そんな子どもたちだけど、津波を直接、受けた子の中には、水が怖くて、いまだにお風呂に入れないもいます。また、大人では、深部に大きな凝りがあっても、体表は、弛緩しまくってる方が多いです。家を全て流された人と残った人とでは、家財道具の量が違い、クシひとつない方もいます。

 

 

【5月1日】 報告者WAK

<7:27> 今、仙台を出発して南三陸町に向かっています。現地での鍼灸活動は難しいとのことで、今日は医師のお手伝い。何でもします。させていただきます!すっごい勉強になるだろな?。

<9:20> 南三陸町入りました!今までは山間部のため目立った被害は道のひび割れ位。山や河原に咲く花がとても綺麗です。少しドキドキ…

<17:53> 南三陸町を離れ岩手県藤沢の宿舎に到着。今は誰もいない宿舎にいます。明日は気仙沼で活動予定。

<1:01> 明日は気仙沼で鍼灸ボランティア。

 


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