※以下は2011年の東日本大震災時の活動に関する記録内容です。状況は異なりますが、参考となれば幸いです。
※「災害鍼灸マッサージプロジェクト」による東日本大震災被災地へのボランティア活動は、2011年12月6日をもちまして、終了いたしました。多くのみなさまのご協力、ご支援、誠にありがとうございました。
現地での活動に参加された方からの感想文をご紹介いたします。
※ブログへの掲載順に最新のものから掲載・敬称略
※こちらのページには、2011年10月以降に掲載されたものをご紹介しております。
それ以前の掲載分については、“参加者からの声1”ページをご参照下さい。
【活動記録(7/28~31、8/19~20.26、9/28~30)】
堀田理香
南三陸、石巻、松島で、計10日間活動させていただきました。
治療するために被災地に出向いたのですが、治療を通じて、被災された方々の忍耐強さ、
自ら家や家族を失っても他者を思いやる愛や崇高にも感じられた深い受容性など、
人間として大切なものを、逆に教えていただいたように思います。
また、私は10日間と言ってもとびとびでしたが、国内遠方やアメリカからさえも、
数か月単位の長期ボランティアの方々がいらしていて、本当に頭が下がりました。
鍼灸マッサージ施術に関しては、わたくしの知る限りでは、被災地の多くの方々が大変喜び、
治療された先生方に感謝していらっしゃいました。(わたくしからすれば、こちらの方こそ感謝なのですが…)
1人の患者さんに対して、1人の施術者が継続的に診られないという難しさは感じましたが、
逆に言えば、前任者を別の施術者がフォローできるということも、ボランティア施術の良さなのかもしれません。
災プロの活動は大変有意義だったと思いますし、わたくし個人的にも、
このような貴重な機会を与えて下さったことを心より感謝しております。
特に代表の三輪正敬先生はじめ、後方支援して下さった橘川まゆみ様には
大変お世話になりました。この場をお借りして心より感謝申し上げます。
ありがとうございました。
【御礼・感想】
三輪様と災害鍼灸マッサージプロジェクトの皆様、プロジェクト参加者の皆様へ
昨年は被災地のためにご尽力いただき、大変感謝いたしております。
私は宮城県名取市在住です。
私の住む地域は山手のため、津波被害は受けず地震による被害だけでした。
3月11日の被災直後は自分や周囲の事しか考えられませんでしたが、
1ヵ月経った頃には生活が落ち着いてきたため、避難所へのボランティアを考えられるようになり、
インターネットで情報を集めていた時にこのプロジェクトを知りました。
プロジェクトには3回参加させていただきました。
4月29日:岩沼市民会館・iあいプラザ
5月1日:名取市消防署・名取市役所
5月5日:岩沼市民会館・iあいプラザ
プロジェクトに参加し驚いたのは、初対面の先生方と協力して活動できたという点です。
出身や出身校、治療方法、経験年数などまったく違う先生方と活動できるとは今まで考えられませんでした。
震災後の混乱した被災地で組織的に活動されていたことに感服いたしております。三輪様や災害鍼灸マッサージプロジェクトの皆様のおかげだと思っております。多くの問題に直面され大変だったと思いますが、長い間活動してくださりありがとうございました。
また、たくさんの先生方が遠方から来てくださっていたので有り難かったです。
被災地までの交通手段や宿の確保など大変だったと思いますし、被災地に赴くこと自体に不安があったかと思います。
被災地に着いてからも、方言がわからなかったり、こちらでは鍼灸が盛んではないため抵抗感をしめされたりなど、他県から来てくださった先生方が戸惑われる場面も多かったのではないでしょうか。
そのような状況の中で多くの方々を治療してくださった、プロジェクト参加者の皆様に心から感謝しております。
私もプロジェクトに参加させていただき、遠方の先生方と繋がることができたことに感謝しております。
もし万が一の時には、恩返しできればと思っております。
本当にありがとうございました。
2012年1月7日
荒川真那美
【東日本大震災の鍼灸ボランテイアに参加して】
鈴木春子
今年4月、雪がちらつく岩手県の、塩釜市役所や松島湾にうかぶ、桂島、野々島で、鍼灸治療のボランテイアをしました。
若い鍼灸師仲間に交じり、65歳のおばさんはちょっと心配でした。私はがん専門病院で、長くがん患者さんの抗がん剤の副作用のしびれや、モルヒネの副作用の便秘などに治療してきました。しかし地震、津波によってすべてをなくし、かつてない恐ろしい体験をなさった方々にはどうすればよいのだろうか。
いつものように温かい手と、笑顔で、つらい症状をとり、少しでも過ごしやすい1日であるよう、こころと技術を尽くそうと思いました。
3日間の患者数のべ83人、年齢は15才から83才、頸肩こり、腰痛、ひざ痛、睡眠不足、便秘の順でおおく、また、血圧も高めでした。
塩竈市役所は築50年ですが、耐震工事が3月10日に完了、間一髪で役所仕事に支障はなかったそうです。
また野々島ではすこし前に地震があり、島の全員が高台の小学校に避難した経験によって今回の大津波で亡くなった方はいないのですが、カキやホタテ、海苔などの加工機械が流され、仕事ができなくなりました。
房総での楽しかった思い出をお聞きしたり、笑顔を絶やさない世話人さんなど、困難をいきる人間のすばらしさを感じて、ありがとうの言葉はこちらこそ差し上げたいと思いました。これからが大変だと思いますが、国と自治体が市民を中心に力を尽くし、また活気が戻りますように願ってやみません。
【活動報告:南三陸町】10月12~14日、11月7~9日
斉藤 朱音
はじめに、今回の震災で亡くなられた方のご冥福をお祈りするとともに、被災された方々の日常が1日も早く穏やかで幸せを感じるものになりますよう、お祈り申し上げます。
震災から半年が過ぎた9月半ば、参加された先生から災プロの感想を伺ったことをきっかけに、無理を承知で申し込み、参加させて頂きました。
最初南三陸に入ってすぐ、山道を走っている間は著しい変化が見られなかったため、思っていた以上に被災してないな、と感じました。
でも活動場所の沿岸部に近づくと、惨事をまざまざと残す光景が広がっており、それからは言葉が出ませんでした。
あっけにとられ涙も出ない自分に、腹が立ちました。
南三陸の海は、おそろしいほど静かできれいでした。出会う皆さんに温かく接して頂き、いただいたいちじくや柿も、魚屋さんにわがままを言いながらお願いして、捌いてもらった魚も最高に美味しく感じました。
『この自然と穏やかに暮らしてきただけの人たちが、どうしてこんな目に遭わなくてはいけなかったのだろうね。』と同行させて頂いた先生が言い、本当にその通りだと思いました。
治療では、診させていただく多くの人のからだに、震災の影響が現れていることを強く感じました。
仮設で生活している高齢者の方々は、外に出ることが少なくなったことによる足腰の衰えを感じていらっしゃいました。病院にも震災前ほど通えない分、災プロの活動をとても楽しみにして下さっていたようでした。
待ってたよ、次はいつ?とあちこちで聴かせていただくと、こちらも嬉しく、来て良かった、と一段とやる気になりました。
他、肩こり腰痛といった主訴に加え、震災後に高血圧になったという方、不眠で悩まれている方もいらっしゃいました。
どの方にも、リラックスして頂くには、受けて良かったと感じていただくにはどうしたら良いかと考えながら行いました。
経験不足、技術不足を痛感するなか、カルテの存在にはたいへん助けられました。また、マニュアルがあり、バイタルチェックがあり、後方支援の方を通じ医療機関に橋渡しが出来ることは、
患者治療者双方にとって、重大な事故や悪化を防ぐためにとても良いことだと思います。
南三陸はすばらしくパワフルでした。
震災から半年が経ち、復興、再生に向けて立ち上がろうとする今だからかも知れませんが、
治療でも、現地でお世話になった皆さまからも、遊んでもらった子どもからも、海からも山からも、たくさんのパワーを頂きました。
支援のために訪れた私のほうが、たくさん頂いてしまいました。
感謝してもし尽くせません。
帰ってきてから、そのことに気付き、
申し訳なく切ない気持ちでいっぱいになりました。
私も誰かに元気を与えられるよう、成長し続けること、
いつでもどこでも前向きに、今を思いっきり生きることが、
一番の恩返しだと思っています。
今回の経験が、またいつか生かせるよう、精進して参ります。
参加したのは本当に短期間でしたが、後方支援の方々のおかげで、充実した有意義な時間を過ごす事が出来ました。
希望日に合わせて日程を組んでいただいたこと、
様々な場所で多くの方に出会い、治療させていただけたこと、
大変感謝しております。
また、以前からお世話になっている先生に同行という形での参加であったため、初めて訪れる場所での移動や、初対面の被災者の方との交流もスムーズに行うことができました。
もし一人で訪れていたら・知らない先生と一緒であったら、より一層緊張し、思ったことも言えずに、治療活動に存分に力を発揮することは出来なかったに違いありません。
最後になりましたが、このようなプロジェクトを立ち上げられた三輪氏を始め、常にサポートしてくださった橘川さま、小河原先生、後方支援の皆さま、初期から現在にかけて携われた先生方に、心より御礼申し上げます。
【活動報告:南三陸町】10月1日~5日 高田 喜行
被災地の現状を見たいと思い参加いたしました。
映像で見るものと実際に見るものとではかなりの差を感じました。
しかし、「復興はできる」と感じたことがありました。
被災地の皆さんは意外と前向きでいる方が多かったです。
しかし、治療するとなると別で心情を傷つけまいとすることを念頭に置きました。
こちらがそのつもりで言った訳でないのに不意に言ったことも向こうの方にとって傷つくこともあるからです。
自分が気をつけてたことに「症状と心を治すこと」があります。
病は気からというように気持ちの持ちようで変わることがあるからです。
今の自分にとってこれからの鍼灸師・柔道整復師に必要なことを学ぶ良いきっかけにもなりました。
「心」を癒すことができて本当の医療者です。それを改めて実感いたしました。
そういった意味で参加できたことは本当に良かったです。
ありがとうございました。
【ボランティア体験記】南三陸町 9/23~24
初めに なぜ被災地に向かったのか?
私の住む徳島県は、今世紀前半にも60%の確実で南海地震が起こると
警戒対策されている地域です。
ニュース報道で、東北関東の津波被害を見るにつけて、
災害発生後の鍼灸師としての果たす役割について、自分で何か出来ることはないかと
自問自答していました。
その背景として、私の師匠・藤本蓮風先生の論稿を読み、災害時での心構えや治療処置を事前に学び、大いに影響を受けていました。
・鍼灸ジャーナル誌VOL21 藤本蓮風著「大災害被災緊急時の鍼灸治療」
また私の所属する徳島県鍼灸師会は、公益事業として災害発生後の鍼灸ボランティア活動等を計画準備しております。
既に徳島県鍼灸師会の篠原新作先生が6月に被災地入りして
宮城県東松島市で、ボランティアの鍼灸治療を3日間行っていた経緯あり。
・10月30日にも、篠原先生のチームが再び現地入りして、治療に当たります。
活動に参加 前準備
ネットで縁あって、被災地での鍼灸マッサージ師のボランティア活動団体に
参加させていただく事になりました。
・災害鍼灸マッサージプロジェクト(略称 災プロ)
災プロの後方支援スタッフさんと、何度もメールで連絡を取り合って
日程や派遣活動先を、決めていきました。
当初は、提携他団体と石巻市での活動でしたが、規模の縮小など諸事情により
派遣先が直前まで未定でした。
また災害ボランティア保険の申請では、徳島鍼灸師会の篠原先生には
大変お世話になりました。
チケットの手配は、JR四国ワープ徳島営業所に頼んでありましたが
台風の影響で新幹線が運航するか心配でした。
出発・宮城県入りしても大変
9月22日木曜日早朝 台風15号の通過後に徳島から宮城県に向かいました。
台風の影響で、交通ダイヤは終日乱れており、ようやく仙台市に入ったのは夕方。
ホテルに泊まって、翌朝、仙台駅でレンタカーを借りて、待ち合わせた仲間のHM先生と一緒に
活動場所の南三陸町へ向かいました。
車中から見た風景では、平野部は至る所で冠水しており、
収穫直前の田んぼの稲も、浸水被害に合っておりました。
高速道路、復旧支援の作業・運搬車や連休で帰省する車で大混雑しておりました。
現地の南三陸町に入ると、津波の傷跡が剥き出しで、沿道付近に瓦礫や壊れた建物跡が至る所にありました。
また同時に、ボランティアさんの一団が何チームも、瓦礫撤去の仕事に当たっていました。
先行して現地入りしているM先生と集合場所で合流して、町の総合体育館・ベイサイドアリーナに置かせてもらっている機材(カルテ書類・折り畳みベッド・毛布・マット)を車に積み込みました。
・ベイサイドアリーナの駐車場前には、ボランティア登録センターがあり、関東方面から来たと思われる?多数の車両や大型バスが駐車されています。
現地での活動開始 1日目
9月23日金曜日
南三陸町 戸倉地区 波伝谷仮設住宅の集会所での活動
この仮設住宅は、山の高台にあり、クルマのナビ誘導や道路標識でもよく分らず、
災プロ現地リーダーの小河原先生に電話したり迷いながら遅れて到着しました。
手違いにより、私たちの活動予定が地区の代表者さんに伝わっていなかった模様。
住民の方に広報した後、時間遅れで治療活動を始めます。
広報すると希望者さんは、直ぐに集まってきてくれました。
12時~17時で、治療人3名で17名に施術
ほとんどの方がマッサージ希望。
私は3名治療担当しました。 主訴は、五十肩1名 頸肩こり2名
*治療をして感じたこと
問診したり治療中のお話をしたり、身体の診察所見から判断すると
皆さんあまり口に出しませんが、相当の精神的負担やストレスを抱え込んでいるようです。
::眼の瞬きが顕著に多い、不眠症傾向・毎晩の飲酒傾向・手足の経穴の反応、様々な体調不良の悪化。
治療中も、地域のある女性が「津波が全てをさらっていった、家も町も家族も・・」と呟くように話されました。
鍼灸治療や心理的ケアも含めて、長期継続的な支援が必要と感じられました。
活動2日目
9月24日土曜日
南三陸町 港地区の集会所(港親義会館)での活動
この地区は、地域住民の結束力が高く、
被災直後から自力で炊き出し活動をしていました。
集会所につくと、出迎えてくれました地域自治会長H様の御支援もあり、
準備をして直ぐの治療活動となりました。
10時~15時で、治療人3名で10名に施術
鍼灸治療を希望される方が多めでした。
私は4名治療を担当。 主訴は、足の関節痛1名 頸肩こり2名 身体のだるさ1名
うち一人は風邪をひいて顕著な発熱状態でした。
風邪の治療の後は、後方支援スタッフさんに地域の担当保健師の方へ
申し送り連絡をお願いしました。
*治療をして感じたこと
地域の方にお話を伺いますと
津波被災の後は、体調不良が悪化して他界された方、痴ほう症が出現している方がおられるようです。
自然災害は否応なしに、人間の健康にも影響してきます。
24日の午後4時からは、現地から離脱して、車で最寄駅まで送迎してもらいました。
(沿岸部の鉄道は休止中)
駅では短時間ですが三輪代表とお話しできて良かったです。
その晩は、宮城県古川市のビジネスホテルに泊まり、翌朝から徳島に帰りました。
大変だったこと・今後の課題
23日は連休の為、現地での宿泊場所の確保が大変でした。
後方支援スタッフの橘川さんや現地リーダーの小河原先生の尽力により
隣町のホテルに宿泊できました。
(このホテルは、普段はラブホテルですが、津波後は一般客も受けいれています。)
現地在住の治療家の先生も多くは被災されており、自宅損壊による仮設住宅移転や
廃業されておられる方もいるようです。
(災プロからは、簡易ベッドの提供など支援を進めている)
外部からの支援団体が撤退した後も、現地で引き継ぐ治療家の先生方の
確保は今後の課題かと思われます。
最後に
今回の東北行は沢山の方々の御協力やサポートによって実現しました。
御陰様にて無事に帰宅できました。
災害時の心持ちや診断治療の実践法を執筆・御指導いただきました、藤本蓮風先生
様々な御支援いただいた、徳島県鍼灸師会の篠原新作先生
現地での活動をご一緒させていただいた HM先生 M先生
後方支援サポートや誘導いただきました橘川様・小河原信雄先生
そして最後に 今回の活動の機会を与えていただきました三輪正敬代表
すべての方々の温かい御支援に感謝し、御礼を申し上げます。
堀本隆久
【活動報告:南三陸町】10月21日~23日
今回は、地元の師会の研修会で、他から行った、山元町の報告と前回の南三陸町の報告をしたところ、若い先生から、ぜひ現地に行って参加したいと相談を受け、一緒に参加することとなりました。
たまたま、主人の会社のリフレッシュ休暇とも偶然にも日程が一緒になり、ご好意に甘えて、運転主兼スタッフと言うことで、滋賀から三人で参加させていただきました。
20日の夜、滋賀を出発し、道に迷いながらもアリーナに無事到着し、当日の午後からの活動場所の平成の森へと。
着いたら既に、部屋の前には予約表があり、名前が記入されており、通常の時間割では当日の予定時刻では追われない状況のため、申し訳なく思いながらも一人当たりの時間を少し短くして、治療にあたらせていただきました。
皆さん、楽しみにして待っていて頂いたとの言葉に心から感謝の気持ちで一杯でした。また、皆さん、本当にお話しが好きな方が多く、仮設住宅での生活が寂しいのではと、心のケアが心配になるほどでした。
終了間際に、一人の年輩の女性が、他の人が名前を書いておいてあげると言われたから来ましたと来られましたが、名簿には名前はなく、既に予定の時刻を押している状況でしたが、一生懸命急いで来られて、はあはあと息をされながら、途方に暮れた姿に、せっかく来た下さったのだからとおもい、急遽、他の人と同じ時間は出来ないですがと後かたづけを片方でしながら、マッサージをさせて頂いたところ、予想以上に喜んでいただけ、車に乗って帰るまで薄暗くなっていく中、手を振っておくって頂いた事が、目に焼き付いて居ます。
改めて、技量や技法ではなく、私は一人でもおおくの人に喜んでもらうために来たのだと、2回目にしてやっと心底そう思えた瞬間でした。
翌日も港地区を回らせてもらい、情報の行き違いなどのトラブルがあり、なかなか治療が開始できないというトラブルもあり、2カ所目の波伝谷仮設住宅を引き上げる時間がかなり遅くなり、外灯もなく、しとしとと雨が降る中、なれない下り坂のカーブで、後輪を脱輪してしまい困っていたら、仮設住宅の方が、無事に坂を下りたか見に来てくださり、状況を見て、仮設住宅の男性の方に連絡してくださり、車を上げてくださり、ハンドルの方向も山の下に落ちないように方向も直していただき、無事にホテルに帰り着くことが出来ました。
結局、お役に立つどころか、迷惑を掛けに行った形になり、申し訳なくおもいました。
翌日の夕方、心配をして無事に車はうごいているか?遠い道のり帰るのだから、気を付けて帰ってねと優しいお電話を頂き、涙が出る思いで帰ってきました。
最終日は歌津地区の港親義会館では、前回もお世話になった、自治会長の奥様にお持てなしまで受け、本当に何をしに行ったのかとなんだか申し訳ないような気がしたまま帰ってきました。
しかし、奥様のお陰で、他の所とは違い、落ち着いて治療をさせて頂けたことに本当に感謝の言葉しかありません。
今回で、私がプロジェクトに参加させて頂くのが最後になることが、とても残念で仕方ありません。
仮設住宅には、地元の先生の所に簡単には行けない方もまだまだおられます。かと言って単独で行っておこなうべきボランティア行為でもないかと思います。でも、どこかで区切りを付けないといけないことも事実だと分っていますが。
何処まで、役に立てたのかは分りませんが、やはり、これで最後かと思うとやりきれない思いで一杯です。
もし、今後も再活動や何かあれば、どんな形でも参加できる様にしていますとお伝えして、今回の報告とさせて頂きます。
現在も現地や色々な所で、引継ぎなどで、頑張っておられる先生やスタッフの皆様、お体にはくれぐれもお気を付け下さい。
そして、感謝とお礼を。 本当に、ありがとうございました。
伊藤優子
【あはき師ではなく一般ボランティア】
塩竈市・南三陸町活動
後方支援室 橘川まゆみ
私は4月に塩竈市で活動、そして6月からは南三陸町での治療活動に参加させていただきました。
あはき師の連れ合いと一緒に現地へ向かい、現地では主に事務や治療活動の助手を担当しております。そして現在も、現地活動へ参加される方々の連絡や後方支援での事務処理などをお手伝いさせていただいています。
私は、医療従事者ではなく一般のボランティアです。このプロジェクトに参加する中では珍しく医療従事者ではないのですが、過去にボランティア経験もあることから、一般ボランティアとして出来ることがあればお手伝いしたいと思い、活動に参加させていただきました。
当然、臨床経験や医療の知識に欠けておりますが、せっかくの機会なのでこれまでの活動のご報告をさせていただきたく、乱文ではございますが綴らせていただきます。
問診300人を越えて
現地での治療活動の際は、主に問診、血圧測定、その他にお話を伺ったり、施術・設営の準備などを手伝っています。
まず、問診は治療を受けてくださる方に、「一番気になるところ、つらいところや痛いところはどこですか。」と、問いかけから始まり、だいたい10分間ほどお話を伺い、その都度、誰でもが見て分かるよう、その内容をカルテへ記入します。
気分が高揚し饒舌な方から、話すものしんどそうにしている方まで、様々な方とお話しさせていただいています。最も気をつけていること、目を見て話を聞くこと、相手の起伏に合わせ寄り添う言葉を返すこと、不安にさせるような言動と表情は慎むこと、です。
私は前職において培った経験を生かし、真摯かつ懸命な姿勢で取り組むことが相手に伝わると信じて、今日まで現地での活動を継続しています。
そして7月になった頃、問診させていただいた方がのべ300人を越えました。
治療を受ける方々
被災された方々は、初対面のボランティアに対し、震災の経験を話すことほとんどありません。肩が痛い、足がつらいなどと話し、問診が進むにつれて、少しづつ身の上話や震災の頃の話をされる方が多く、あまり悲しんだり落ち込む様子をされる方はありませんが、我慢したり頑張っていますとお話しされて、問診の僅かな時間にふと肩の力を抜く方がほとんどでした。
特に職員の方々は、残業されているその貴重な時間を利用して、我々の活動時間である
夕方から来て下さっていますので、気分転換や休息時間として、気を楽にして頂けるような雰囲気作りに努めていました。時にはその場にいる皆さんで大笑いするような賑やかな日もありました。
治療までの待ち時間では、一緒にストレッチをしたり、お互いの衣食住の生活の話をしたりと、たわいのない世間話をして過ごしていました。
南三陸町では、他の活動場所と様子が異なるようで、震災の時の出来事は誰もがオープンに話をされていて、耳にする機会がとても多いと感じました。震災以降にやるようになったことへの気苦労や大変さを切々とお話しされる方もいますで、そのお気持ちに寄り添うよう、精いっぱい努めました。
ある場所で治療活動へ伺った時には、5人ほどの方々が3.11志津川病院での出来事の話を始めました。私はPTSDの注意事項を聞いていたので、諸々気をつけてお話しを聞かせていただいていたのですが、次々と住民の方々が日常会話の様に話されて、最後まで震災の時のお話が尽きませんでした。私にとっては、それは大変でしたね、と終わらせることのできないような出来事ばかりで、この衝撃は胸を突き言葉を失いました。
また、現地での活動滞在期間が長い私は、別の日に以前治療にこられた方と会う機会も多くなります。そしてお会いすると必ず声をかけてくださり、治療後の体の調子や鍼灸の感想を詳細に聞かせてくださる方がたくさんいました。
少しでも元気になられて過ごされている方をお見かけできるのは、私自身が治療したわけではないのですが、とても嬉しく感じました。中には、別の方へ鍼灸の良さを紹介してくださったり、他の方を連れて来てくださったりと行動へ移して下さる方も多く、そのお気持ちに対し今でも感謝の念に絶えません。
我々の活動は、治療を受けていただいた方々のこうした言動によって、成り立っているのだと強く感じています。
被災地で出逢った笑顔、そして苦悩
携わった活動期間が長い為、いろんな方との関わり合いが自分の中に堆積していきます。ここでは4月から7月までの期間でお会いした方々を、一部ご紹介させていただきます。
「毎日頭痛を感じて朝が始まるんです。」という方に会いました。冷え症で鍼灸には半信半疑な様子で、問診の時の表情は重苦しいような気だるそうにされて、首肩痛からくる頭痛に諦めているとお話ししてくださいました。
震災後に前回マッサージの治療を受けた時は、寒い日だったこと、そして灯油がなかったために部屋がとても寒かったことなどから、やっても効果があるのかしらという不安な気持ちがあったそうです。
そこで私は、体を温める治療が可能です、と施術者の治療内容を先にお伝えし、気持ちを楽にして待っていてもらうようお願いしました。
そして、治療を終えて温灸と鍼で緩んだ体を実感していただいた時、「こんなに軽くなるものなんですね!」と、すっきりとした表情で明るく笑ってくださいました。その笑顔を見た時、自分の喜びとして感じとてもうれしく思いました。次の日の朝は頭痛がおきませんように、と心の中で願い見送りました。
ある避難所へ活動に訪れた時の事です。
居合わせた保健師さんのお声がけにもかかわらず、遠慮されたのか、誰も治療の申し出をしてくださらず、大きな部屋で寝泊まりして生活するその避難所の中は、しんと静まり返っていました。もしかしたらニーズもないのに押しかけてしまったのかもしれない、という不安がよぎりました。それならば、被災者の方たちにとって、本当に迷惑でしかありません。
そこへ、「膝がね、痛いんだよ。」と周りの方々が見守る中、良くなるなら鍼をやってみたいと笑顔で近づいて下さる方がいました。両膝が痛くて歩行痛があそうです。この大部屋の避難所の中は、まさに、かたずをのんで見守るというような雰囲気になりましたが、是非診させていただきますということで、問診をして治療を始めました。私も施術者も時間をかけて丁寧にお話しを伺い、そして治療をしました。
治療を終えて、その方にその痛いと感じていた動作や痛みの程度を確認してもらうと、にっこり笑って、軽減されて歩きやすくなったと喜んでくださいました。「鍼は痛くないんだね」と言って。それを見ていた周りの方々が、それなら自分もやってもらおうと次々に申し出てくださり、その方は周りの方たちへ、進んでお勧めしてくださいました。
よくなりたいという気持ちが治療効果を倍増させ、また周りを包むような幸せが伝染するとは、まさにこのことだと感じ私も幸せに感じました。
「先週から風邪を引いているから、もっとひどくするといやだから。」
そういって、避難所内で声をかけた私に、やめておくわと治療を断られた方がいました。わかりましたと言ってすっと離れたのですが、マスクをして時折痛そうな咳をされていて、大部屋の避難所の隅に体を寄せて辛そうにじっと座っていらっしゃいました。
仕切りのない大部屋の避難所の中では、病気なんて出来ないという緊張感や後ろめたさが生じます。しかし、いくら気をつけていても症状は出る時は出ます。
治療を希望される他の方々の問診をしながら、その方の様子を見ていた私は、どうしても気になっていたので、施術者に相談してその方に直接話しかけてもらいました。
そして、「呼吸を楽にしましょうか。」と再度お声がけをし、問診と血圧を測定して治療を行うことになりました。
施術者が手首と背中に治療をしたところ、呼吸がしやすくなったようで咳が収まりました。
私としては、無理強いはよくないのでお気持ちが乗ればとお誘いしたのですが、その後はどうされているかと気になっています。
私が治療活動を終えてその避難所を後にする時は、他の方々のところへ行き楽しそうにおしゃべりされているのを見かけました。本当に早く治るといいなと思いました。
「あるボランティアの人に足の甲のつぼがいいよってぐいぐい押されてね。」と話して下さった方は、それから左膝から大腿部にかけて痛みが止まないと訴えていました。
この方は、日頃から他の住民の方々の面倒を見ていらっしゃり、ボランティアが来れば食事や宿泊の世話までなさる、とても忙しく働きまわるようです。そのボランティアさんご自身につぼの知識があったのかなかったのかわかりません。おそらく親切心でつぼを押したのだろうとのことで、なぜか痛みが続くからさすがに辛い、ということで治療をしました。
すると、やはり足の甲に違和感があったようでで、治療後には「なんだ、取れるんだね、痛みは。全然痛くなくなったわ。」とおっしゃいました。そして、何度も何度も痛かった足を労わるようにさすっていました。避難所を取りまとめしゃきしゃきと多忙に動き回っているこの方には、どうぞご無理をしないようにとお伝えしました。
「津波が来るからと逃げた時は、この裏の崖の上まで登れっと言われて。」
海からほど近いこの避難所は、急斜面な道を上がったその上にありました。震災直後から床での生活を強いられ、正座ができないと膝や足の痛みを訴えるご年配の方が本当に多いです。
この方もその一人で、問診をする前は横を向いて寝てお待ちになっていました。足首から膝裏と鍼灸治療をしたところ、痛みは軽減し正座が出来るようになりました。問診時はもそもそと乗る気にならない気持ちを少しも隠さずに近づいてこられた方が、ぱっと晴れやかな表情でいろんなことをお話しして下さるようになりました。
この方の治療が終わった時がちょうど午後3時だったので、皆さんのお茶っこにそのまま参加させていただき、ゆったりとした時間を共に過ごさせて頂きました。
帰り際、その方がゴマのお菓子を持って行けと、そっと渡してくれたので丁重に笑顔でお忚えしました。その時の表情はうっすらと涙が浮かんでいたように見えたのを、私は忘れません。
「痛くて5年はうつ伏せになってないのよ」という方の要望から、タオルや毛布で胸当てをするなどの補助をしてうつ伏せに挑戦してもらったところ、うつ伏せになることが出来ました。腰痛持ちなのに体重が一気に増えてしまい、痛みがあっていつも横向きでしか寝ていられなかったそうです。
我々の訪問というふとしたきっかけでしたが、うつ伏せが出来たことをご本人がとても喜んでくださり、「また来てね、待っているから。」と、別れ際にギュッと手を握り締めてくださいました。
穏やかに話されるあったかい手をしたその方は、その後何度かお会いする機会があり、いつも人懐っこい笑顔で出迎えてくださいました。
「強めの指圧が好みなの」と鍼灸が好きな方にお会いしました。お会いした瞬間から待っていたわと叫び、そして満面な笑みで駆け寄って来られて、私たちを驚かせてくれました。
ある時まで、地元治療院へ通院されていましたが、子供がいるので時間を気にして行けずにいたそうです。震災後から子供が不安さから親元を離れられなくなっているのを理由に、遠方へ通院が出来ないと訴えていました。
ボランティアセンターへマッサージの希望を自ら出したというこの方は、毎日がれきの撤去をする男性の方々の健康を、とても気遣っておられました。このことが一時期、私たちの活動が夜間の時間帯に行えるかどうか検討するきっかけになっていました。
しかしながら、その避難所までの道のりには街灯が少なく、そして道路が数か所陥没しているような状況から、結果としては難しいとの判断を出せざるを得ませんでした。
もし近くに宿泊出来るのであれば可能なのかもしれないですが、どんなボランティアでも、出来ることを、出来る範囲で行う、一時的な活動者なので、こういった安全面や健康面なども考慮して、今後は治療活動をしなくてはならないと考えました。
そして当プロジェクトでの活動は、12月の完全撤収を残しあと僅かとなりました。
今日もまたたくさんの地元の方々のお気持ちに助けられながら、共に活動ができることを、深謝して。
【活動記録(11月7日~9日)】 伊藤政彦
本日の活動波伝谷からスタート。天気晴れ。11時45分到着準備しスタート最初の二時間は仕切りなしに患者さんくるもあとはのんびりペース人数11名。一緒に行った先生のご厚意で以前私が伺った時に治療させて頂いた。40代女性。以前は生気が無い感じだったが、元気になっており良かった。波伝谷は下り道が違うので脱輪に注意。道が狭いので暗くなる前に撤収できた方が良かった。
A先生と18時アリーナ待ち合わせし小森仮設住宅に向かい半前に到着。ベッド3台用意するが人達人気集まらず患者様5名施術 治療者側4名
9日
中瀬町仮設住宅の活動10時前開始。ここは集会所を談話室として使っており話し相手のボランティアと被災者の方が気軽に話ができる場がある。一部のスペースを借りて治療をさせて頂いた。患者様最初いなかったのでボランティアさんの捻挫を治療を皮切りにスタート。途中区長さんも治療に来られる。活動場所の建物がとてもきれいで、ボランティアさんも4・5人おり活気があり和やか雰囲気で治療ができた。患者様7名活動の帰りに川にサケがたくさん上がろうとしていた。2年前ここの地を旅立ちオホーツク海やアラスカ湾を回遊してきたサケも、まさかこんなことになっているとは夢にも思わなかったであろう。
13時45分活動終了。14時昼食。14時30分ベイサイドアリーナ治療用具片付け離脱。今回で3回目の活動をさせて頂いたが、このことを通して色々な方と出会うことができた。震災という非現実。今の現実。しかし本来こんな形で出会うのではなく生きている中でちがう形でお会いしていればよかったと思った。活動を通じて自分を見つめ直しができたこと、足り無い所などを再確認できてよかった。こらからも自分にできる範囲で被災地にできることを支えし続けたらと思う。
【活動報告:南三陸町】10月12~14日 伊藤政彦
東京から2名10月12日16時ごろ現地入り
17:30ベイサイドアリーナ活動開始。
Oさん(地元事務お手伝いの方)が来てくれ一件落着。問い合わせしてくれた患者様受け付けの電話繋がらない。ケイタイの場所分からず。治療開始 腰痛・手足の張りの方。
患者様3名ゆっくりペースで治療。ミーティング&食事ホテル観洋にて~就寝。
13日平成の森
11時半に到着設営に15分強治療開始。すでに廊下で10人待っている。
20分のペースで治療。前日に書いた予約表見つかり少し混乱する。患者様徐々にさばけて行く。急患腰痛患者の運転手。対応に追われるが時間内に終えた。
15時半まで治療者2名患者様16名 前日とは違い患者様も多くやりがいがあった。
18時半~志津川高校仮設集会場でマッサージ。仕事帰りか19時前後患者様多くなる。
治療者3名事務1名患者様6名。19時半撤収。ミーティング&食事ホテル観洋にて~就寝。
ちょっと思いながらの本日最後の施術。体と心両方の疲れが取れたら良いと。
14日港親義会館
10時~すずめ来客。患者様もゆったり。暖かい日ざしの中まったり治療。手作りのいちじくの甘露煮休憩で頂く華やかな色どり。コンビニのべんとうも美味しくなる。最後はHさん(地元コーディネーター)をゆっくり治療。最後お茶を頂きちょっと座談会。治療者2名患者様10名。一路仙台駅へ。駅で待ち切れず。お土産を買いながらお疲様でした会決行。帰路2時間。話の興奮さめ止まぬまま東京に到着。
私が感じたのは前回よりも皆さんの辛いことも多いけど気持ちが上向きだった人が多かったこと。
今回の活動では、鍼灸をやってほしいという人が増えたことでした。
現地に入られて地道に頑張っている成果が出ているのではないかと思いました。
地元の方が鍼灸治療の素晴らしさを忘れずに、又地元の先生の所へ足を運んでくれることを切に願います。
今回の活動を支えて下さった後方支援の皆様大変お世話になりました。
このような素晴らしい機会を与えて下さり有難うございました。
【感想文】(松島:9月28日~29日)
私は国家資格のない、リラクゼーション系のマッサージの学校に
現在在学中なのですが、
資格がないと駄目なことを承知の上で、
何か自分にも出来る事がないかと思い、
災害鍼灸マッサージプロジェクトさんのHPを見て
メールをお送りさせて頂いたのがきっかけでした。
案の定、資格が無いと施術は行えないが、アシスタントでよければ
ボランティアに参加出来るというお返事を頂き、
是非、と思い 返事をさせて頂きました。
その後、災害支援プロジェクトチーム東洋医療をご紹介頂き、
ボランティアを受け入れてくださる手配を頂きました。
今回本当に痛感したことは、
東北にボランティアに行くということが、
どれだけ自己中心的な考えかという事を
考えさせられました。
逆に、自分の想いに、ボランティアをして頂き、
宿泊先を提供して頂いたり、
駅まで車で迎えにきて下さったり、
食事の準備をして下さったり、、、
お風呂を沸かして下さったり、、、、、、
本当に何から何まで、お世話を頂き
突然の災害に見舞われて、心が苦しいときに
こんなに人に親切にできる人達の
心の広さに心を打たれました。
本当に本当にありがとうございました。
このような経験をさせて下さった
スタッフの皆様に本当に心から感謝を申し上げます。
田中梢
【被災地ボランティアに参加して】 林 教雄
私は、災害鍼灸マッサージボランティアに登録し、9月20日から22日にかけて、南三陸町へ行ってきました。
以前より、被災地に向けて、何かしたいと考えていました。事態が長期化していくにつれ、忘れていない、気にかけている、ということを、目に見える形で示したいことが動機です。
まとめて休みの取れる夏休みを利用。折しも退職したばかりの友人を見つけ、共に参加。現地にて合流した治療家も、鍼灸学校時代のクラスメートとであり、彼女は、何度も参加しているとのこと。今回も石巻での活動を終えてからのからの移動。彼女の行動力に、頭が下がる思いでした。
当日は移動時間や台風もあり、残念ながら3日間で活動できたのは、およそ2日。3人の施術となってしまった。最初の患者さんは役場の職員で、マッサージを希望されていた。どのように接したらいいのか、迷いながらの施術となってしまった。手が動かない・・・。戸惑う間に、時間となってしまった。
初日は、1名で終了。
2日目は、台風のためホテルで待機。昨日の自分を振り返って、いつも通りの平常心ができていないと反省をした。黙っていたい人は、黙って寄り添っていればいい。話したい人は、ただ聞いているだけでもいいのではないか。どんな言葉をかけようかなんて余分なことなんだと思うことにした。
最終日は患者2名。仮設住宅にお住まいの方と、ボランティアにきていた方を治療した。施術中は、丹田に集中。普段の治療よりも短時間で進めることができたうえで、笑顔でお帰りいただいたのでホッとした。私自身にも、いい経験をさせていただいたと思う。
そこには、瓦礫が撤去され、土台しかない、更地になってしまった町がありました。
もう復興は無理でしょう?という地元の治療家の言葉に、何も答えられませんでした。
家族が亡くなり、家も失い、町というコミュニティもばらばらになりそうな中、暮らしている人達がいました。
そうした現地の様子を、実際の目で見て、聞いて、未だ咀嚼できていない自分がいます。草の根レベルのボランティアで支えていくことと、あまりに遅い国の対応に声を上げる重要性を、ひしひしと感じています。
最後に、現地に行くスタッフを支える後方支援スタッフの連携によって、スムーズな活動を行うことができ、感謝しています。残念ながら、このプロジェクトは終了予定とのこと。引き続き、なんらかの形での支援をしてゆこうと思います。
【活動報告:南三陸町】7月23日~25日 井上英世
・ 東北に大地震があってからは阪神大震災の時の鍼灸ボランティアに参加した記憶があって今回もという思いがあった。
・ 阪神大震災の時よりも鍼灸治療の経験をつんでいたこともあり、さらに各界が、各分野がボランティアに馳せ参じている中で「鍼灸の底力」を発揮したいと言う気負った気持ちを強く持っていた。
・ しかし前回と違うのは66歳の高齢者になったこと、遠い東北であること、事情や情報がすくないこともあって個人では何もできないこと、家族・スッタッフに反対されたこと、等で参加しにくい要因が多かった。
・ それらを乗り越えて参加出来、現地で鍼灸治療の活動が出来たのは、準備を整えて頂いた大阪府鍼灸師会のリーダー、現地で活動が円滑にはかどるように取組んで頂いた多くのスタッフの方々、ボランティアに参加した仲間、すなわち多くの人と人との絆があったからです。
・ 個人的な達成感を得ることを考えていた私にはボランティアの発想を転換させられました。被災者の方のニーズがもっとも優先され、大切にされるものであること。ボランティアはそれを実現するために力と工夫と努力で頑張ること、被災者に迷惑をかけないことを認識させられました。
・ 仮設住宅を回って鍼灸ボランティアに来ていますと声をかけて回ると多くの人が集まって来て、仮設住宅の疲れを訴えられた。日常的なセルフケアの必要性を感じた。それにはお灸を自分で出来るようになってもらうための講習活動に取り組みたいと思った。長い長い時間がかかりますが。鍼灸ボランティアには世代を越えた継続が必要であることを感じながら東北を離れました。
【活動報告】南三陸町(7/6)PCAT石巻(9/4~5)
7月6日(水)南三陸町
行程:7月5日夜行バス横浜発-6日活動-7月7日夜行バス渋谷着
治療人数:中前民家 5名様
ベイサイドアリーナ 2名様
治療直後の感想:(一部twitter引用)
0泊3日の弾丸ツアーでしたが、これからも微力ながら継続的に参加したいです。
震災前までは、定期的にケアできてたのに、病院も治療施設も無くなって、悪化してしまってるという患者様ばかりでした。
まだまだ需要の情報も開拓の必要があり、人手は必要だと感じました。
ベイサイドアリーナでは、パーティション代わりの簡易テントを設営し、中も半透明のシートで区切って、簡易ベット2台設置。想像以上に快適な治療スペースでした。
皆様、とても気さくな方で楽しみにしてて下さり、若輩者の私のことも快く受け入れてくださいました。
この南三陸町への参加が、ボランティア活動開始のきっかけとなる初めての活動でした。
ここで、被災された方への配慮の仕方や、活動・施術における注意すべきことを理解し、きちんとした土台ができたと思っています。
本当にその機会を与えて下さった災害プロジェクト様には、感謝でいっぱいです。
9月4・5日(日・月)PCAT石巻
行程:9月4日新幹線東京発-4日午後・5日17:00まで活動-5日夜新幹線東京着
治療人数:9/4 13:00-17:00 8名様/施術者1名。
9/5 9:00-12:00 12名様/施術者2名。
13:00-17:00 7名様/施術者1名。
報告・感想:(一部facebook引用)
新規患者様は2名のみで、あとは両日とも再診。
かなり認識は高く、両日とも午前中で予約がいっぱいとなる。
患者様の約2/3が被災した石巻市立病院の看護師さんで、約1/3はヘルパーのボランティアさん。
看護師さん自身も被災されてる方が多く、避難所生活がきっかけで不調を訴える方多数。
遊学館は、要介護者の避難所として利用されている。
震災当時は180名ほどだったが、現在は約27名。
避難所閉鎖は9月末予定。
看護師さんたちのほとんどは、仮設をまわることになる見込み。
震災から少し時間が経ったからか、被災された看護師さんより当時の様子をお話くださる方が多くいらっしゃいました。貴重なお話をたくさん伺いました。
避難されている方の人数が減り、「前は本当に忙しかったけど、今はたくさん休みがあります・・・」それが良いも悪いもないと思いますが、・・・が気になりました。
避難所閉鎖後は、それぞれどこでどんな業務につくか全くわからないとのことでしたので、少しでも早く、看護師さんたちが力を発揮できるような、かつ安定した医療機関の体制が整ったらいいなと思いました。
活動の他にも、8月・9月と災害プロジェクト様のミーティングにも参加させていただきました。
活動の中では知り得ない、裏方の大変な努力を感じました。
また、活動の引き際、地元の治療家先生への引継ぎの取り組みなど、全てにおいて現地を第一に考えて進められるミーティングは、私にとってとても有意義な時間でした。
災害プロジェクト様の他にも、微力ながら一般ボランティアや他の鍼灸マッサージボランティアにも参加してきました。そこで、ボランティア活動の難しさや意味などを考えるようなこともありました。がしかし、災害プロジェクト様の私が一番すごいな~と思うところは、代表の三輪先生のお考えがしっかりチームの皆と共有されており、方針が一貫していてぶれない。もちろん今まですごい困難もあったと思うのですが、それをチームがずっと今まで続けるということは、すごいな~と感銘を受けます。
私事ですが、今後しばらくは定期的に宮城県と岩手県で活動を行います。
災害プロジェクト様の活動がなかったら、今の私はおそらくない、と思うほど心からの感謝でいっぱいです。
この活動を通して感じたこと、学んだことを大いに生かして、これからの活動へ繋げていきたいと思います。
ありがとうございました。
今後ともどうぞ宜しくお願い申し上げます。
石田 千絵
【活動報告:南三陸町】9月23日-25日
9月に入り、朝晩冷える宮城県南三陸町。
今回も、また楽しい時間をすごさせて頂きました。
この3日間は天気も歓迎してくれたのか、晴れ続きで、心身共にとても気持ちよく施術できました。
今回は、災プロを支えてくれてはる、小河原さんと橘川さん、そして三輪さんとともにできまして、気持ちとしては私自身とても安心でした。
そして、小河原さん、橘川さんが、地元の人と打ち解けてて、それがまた、来られる患者さんも私も安心したことと思います。
人との付き合いは、気持ちからやなと思いました。私は、腕に自信があるわけではなく、口下手なものでして、実際、来られた患者さんを施術するのは毎回毎回どきどきです。前回の先生のようにしっかり治療できらんやろうしなどと、ネガティブな思いもありつつ、私の施術が、少しでも、来られた方のためになればと思ってやります。
お互い初対面ですと、やや距離があると思うのですが、橘川さんが来られた方を暖かく迎え、「調子はどぅ」という会話があると、私とはまだ直接は関わってなくても、その距離は少し短くなるのかと思いました。だから、今回はとてもやりやすかったです。
感謝しております。
来られた方は、施術後とても深々と頭を下げて「ありがとうございます」と言って帰られます。その度に、なんとなく空っぽになった気になります。何故かわかりませんが。多分、私は短期間で、その方と会う機会って、正直言って、その時だけかもしれない。だから、「ありがとう」と言われると、なんか最後なのかなと思ってまうのかなと。はっきりはわかりませんが…。
今回で、3度目の参加になるのですが、毎回参加させて頂く度に「一期一会」という言葉を改めて感じます。名前は覚えてないけど、あの方、こんなこと言いよったなってふっと思うことがあります。ほんまに、素敵な時間をすごさせてもらいました。
これから、秋になり冬になります。西日本育ちの私にとっては想像できらんくらいの寒さが東北に来るのやと思います。
慣れない仮設住宅の寒さは、想像以上のものやと思います。
そんなときに直接現地に行けたらと思いますが、このプロジェクトも冬には撤退するとのことで。
どうか、皆さんが明るく暮らせることを願って毎日、散歩途中のお地蔵さんにお願いします。(このお地蔵さんは、願いを叶えくれますので。)なので、私自身は、日頃の行いをよくするよう努めます。
後方支援の方々をはじめ、沢山の方のおかげで、また、貴重な体験をさせて頂くことができました。メール上ではありますが、改めてお礼申し上げます。
「ありがとうございました。」
畠中 美希
【活動報告:PCAT石巻】8月17日~19日 井萱 幸代
今回私が参加させて頂いたのは、仙台石巻市涌谷にベースを持つPCATへの派遣という形ででした。
事前に災プロのHPやブログなどを拝見し、現地の看護師さん達の治療を行うということだけは分かっておりましたが、具体的にどのような形で行うかは現地に行ってみないと分からないという状態でした。また、前日までにPCAT担当者から現地のコーディネーターの連絡先をお知らせ頂くという話を聞いておりましたが、結局何も連絡がないまま、出発当日、新幹線に乗る前にPCAT事務局に連絡を取り、連絡先を教えてもらうというやり取りをしながら現地に赴きました。(現地には自分の到着日が明確に伝わっていなかったそうです。)
16日の夜にはなんとかPCAT涌谷町ハブにたどりつき、夜の全体ミーティングに参加。そこで、自分は避難所(通常は遊学館)に詰めている看護師さんの治療ではなく、涌谷ハブに隣接する温浴施設を利用して行われる、石巻市立病院の看護師さんとそのご家族の方を対象とした、“癒しの湯”研修イヴェントでの鍼灸マッサージブースを担当するということを初めて知りました。最初は戸惑いましたが、このイヴェントに携われたおかげで、想像以上に様々な分野の方と交流を持つ機会が持てたことを、とても幸運に感じています。
ミーティングには、ロジ担当のPCATスタッフに加え、看護師、医師の先生、臨床心理士(USAからいらしているとのこと)、今回のイヴェントを共同企画運営しているスタディコミュニティ”リディラバ”のメンバー、鍼灸と平行してブースを設けることになっている、エステティシャン、ネイリストとの方々、避難所などの清掃、防カビ・ダニ業務に携わるダニバスターズのメンバーなどが参加し、それぞれの活動予定及び報告を行いました。先に入っていらした災プロ派遣の小河原さん、橘川さん、小西さんの鍼灸チームは、翌日南三陸に移動するとのことでしたが、幸い、直接引き継ぎを受ける機会も得られました。
このような研修イヴェントを開催することが、PCATの方々にとっても初めての試みだったということもあり、皆手探りで準備と進行とを行っていくという感じでした。初日は参加者3名(うち子供1名)とこじんまりとした会になりましたが、2日目は来場者計17名(看護師さん7名、親族大人5名、子供5名)、最終日3日目は看護師さん11名、お連れのお子様2名と徐々に参加者も増え、進行も適宜調整を入れたせいかスムース且つ活気のあるものになりました。
看護婦長さんの講義や臨床心理士さんによるこころのケア講義やワーク、温浴施設利用など、様々なアクティビティを平行して行ったため、鍼灸やエステのブースを訪れる時間は1日あたり2~3時間程度と限られていました。
それでも、様々な体験を通じて、リラックスしたり、楽しんだりしながら、研修時間をフルに満喫されている看護師さん達の姿を拝見できたことで、こうしたイヴェント開催の意義を強く実感し、治療だけではなく、その運営自体に深く関われたということをとても嬉しく思っております。
一人あたりの施術時間は15~20分程度と限られており、普段から諸々1時間近くかけて治療をすることに慣れている自分にとっては最初は大変でしたが、慣れてくるとポイントを絞って行えるようになり、大変勉強になりました。被術者の方々にもおおむね満足していただけていたように思います。
今回は3日間で計17名の治療をしました。あん摩と鍼の割合はあん摩がやや多いくらいでした。看護師さんの中には、遊楽館(避難所)で既に何度か災プロ派遣鍼灸師の治療を受けたことのある方がいらっしゃいました。話を聞くと、東北地方では鍼灸はまだまだご老人の受けるものという認識がほとんどで、今回対象となった20代~40代の看護師さんにとっては、全くなじみのないものだったようです。ボランティア治療の機会に初めて受けてみて、痛くないし、こんなに効くものだと知ってびっくりした、可能であれば、地域の鍼灸院を訪れてみたいという声も聞かれ、鍼灸治療のニーズの高さと、最終的に地元の鍼灸師さんネットワークにつなげる必要性とを強く感じました。
また、運営スタッフの方々にも折をみて鍼やお灸、マッサージをする機会を得られ、鍼灸への興味やからだへの意識を高めるきっかけづくりができたように思います。
この3日間の間に、震災・津波の被害を大きく被った石巻市、市立病院の見学ができたことも大変貴重な体験でした。石巻市のがれき撤去は他の地域に比べて遅れ気味と聞いていましたが、がれき撤去に参加したことのあるメンバーのコメントでは、市内は大分片付いているようでした。ただ、地盤沈下の影響なのか、ところどころ道路が浸水しており、車で通るのも困難な場所がいくつも見受けられました。市立病院の様子は凄惨で、自然の猛威の爪痕がまざまざと残っていました。ただ、今回の施術対象者となった看護師さん達が働いていた病院をこの目で見ておけたおかげで、施術を行うにあたっても、そのことを口に出さずともなにか意識を共有できるといった、ラポール形成に大きく役立ったように思います。
加えて、宮城県が震源の震度5弱の地震を施術中に体験できたこと(地元の皆さんは慣れていらっしゃるせいか、鍼が刺さった状態でも全く動じることなく、"大丈夫ですから治療を続けてください"とおっしゃるぐらい、落ち着いていらっしゃいました)、地震の影響で帰りの新幹線が大幅に遅れたことなども、全てが被災地での貴重な体験です。
帰りの新幹線待ちをしている間に岐阜で内科医をしていらっしゃる先生とお話をする機会が得られました。鍼灸治療についてはあまり詳しくはご存知ないとのことでしたが、実際の被災地で苦しんでいる方々が訴える痛みや痺れといった症状に対し、西洋医学は薬の処方ぐらいしか手だてがない一方で、鍼灸治療は非常に有効らしいという認識をお持ちでいらっしゃいました。今後はもっと積極的に医師・看護師と鍼灸師が手を組んで活動できたら良いだろうという共通認識が持てたことも、とても良かったと思います。
3日間はあっという間でしたが、この活動に参加している一人一人がそれぞれの思いを抱いてこうやって集まって来ているのだという事実に、文字通りこころが熱くなりました。
阪神大震災での教訓をふまえて、孤独死の問題を重視しているエステティシャンの方、社会問題に真剣に取り組もうとしている学生さんなど、自分にできることがあれば少しでも役に立ちたいと真摯に考えている人達ばかりで、それぞれが様々なバックグラウンドを持ちながら、震災に際して同じ方向を向いて、こうして出逢ったんだという神秘に感動しました。
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